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No Longer Human

音楽、サブカル、ラジオ等について、経営的・定量的な視点から書いていきます。

ピンポン(松本大洋)に見る「楽しむ」ということ。 文化系トークラジオLife感想戦

ラジオ 漫画

8月の文化系トークラジオLifeは「"楽しくやろう"というけれど...」というテーマでした。
 もうすでに前々回の放送になるので今更ではありますが、この回の感想を書きたいと思います。
 この回もpodcastで欠かさず聞いていたのですが、その中で、日本人のスポーツに対する姿勢がいつの頃からか変わってきたという話がありました。
今までの姿勢は、オリンピック柔道に代表されるような、悲壮感の漂う、苦しさの先に勝利を求めるといったタイプのものだったが、最近の傾向は「精一杯努力したら、最後は楽しんでプレイしたい」という内容に変わってきている、と。

 たしかに最近のオリンピック選手のコメントを聞いていると、そんな傾向を感じます。ラジオの中では、キャプテン翼でもその変遷を読み取ることができると言っていました。当初主人公の翼君の一番のライバルは苦しさの先に勝利を求めるタイプである日向小次郎だったのに対し、後半のライバルは楽しむことの極地を求める野生児に変わっており、最終的には如何にサッカーを楽しむかの競い合いになっているのだと。

 キャプテン翼以外にも努力することと楽しむことの両立の難しさをテーマにした漫画があります。
それが今回の題名にもある「ピンポン」です。映画化もされているこの作品ですが、今回は原作の漫画に関して考えます。
また、前半は文化系トークラジオLifeの感想というよりは、ピンポンの考察に集中したいと思います。




ピンポンの概略ウィキペディアから)
『ピンポン』は、週刊ビッグコミックスピリッツ小学館刊)に連載された松本大洋による日本の漫画作品、及びそれを原作とした映画作品である。卓球を題材として友情を描く青春漫画で、神奈川県藤沢市が舞台となっている。
週刊ビッグコミックスピリッツに1996年から1997年まで連載された。全55話。
ペコとスマイルの、片瀬高校卓球部に所属する幼馴染の二人が主人公。ペコは卓球は強いが、自分の才能に自惚れているところがあり、先輩に対しても挑発的である。スマイルは、決して笑わないことからペコが「スマイル」と命名した。内気で無口だが、卓球は強い。二人は噂の中国人留学生を迎えた辻堂学園高校卓球部の偵察に出かけ、留学生のチャイナと対面する。チャイナと卓球をしたペコは、1点も獲れずに敗北する。暫らくして片瀬高に、髪も眉毛も剃りあげた、スキンヘッドの高校生が参上する。ドラゴンと呼ばれる海王学園高校卓球部の風間竜一である。ドラゴンは、絶対にインターハイで優勝すると宣言する。そして、インターハイが開幕した。


まずは概略を。
参照して文句を言うのもアレですが、なんだかこのウィキは雑なまとめでした。




真剣に取り組まずして、喜びも楽しみもない
 ピンポンの前半の内容はスマイル(月本、以下スマイル)を中心に描かれます。
 スマイルは感情を表に出さない人物です。基本的に他人と衝突することを避けています。しかし、感情がないわけではありません。本当はペコ(星野、以下ペコ)のように上手く感情を表に出したいと思っています。それ故に、ペコがいった「知ってるかスマイル。血って鉄みたいな味がするんだぜ」というセリフに執着し、自分の血もペコと同じように、鉄の味がするのだということを何度も確認します。同じく鉄の味がする自分もペコのようになれるのだと。
 しかし、物語の前半では上手く自分の感情と折り合いをつけることができません。実力があるにもかかわらず、試合相手が負けた後のことを気の毒に思い、わざと負けるような試合を続けます(選手生命の危機にある孔 文革や、かつてのヒーローだったペコに対して)。それを見かねた卓球部顧問(バタフライジョー)小泉はスマイルに勝利に執着することの重要性と、中途半端に相手選手に同情することの悲劇を伝えようとします。
 つまり前半では、まず真剣に取り組まない限り楽しさなど見出せないことを描いているともいえます。





「理想の追求を許された選手は少ない」飛べない鳥
 ピンポンの中では「飛ぶ」ことが才能や実力の比喩として使われています。前半は真剣に取り組む重要性・勝利への執着がテーマとしてありましたが、中盤から後半にかけては「勝利への執着」の「苦しさ」がテーマになります。誰もが努力すれば飛べるわけではない、飛べない鳥もいる。それがアクマ(佐久間、以下アクマ)やチャイナ(孔 文革、以下チャイナ)です(チャイナは飛べているような気もしますが)。
 チャイナは中国のナショナルチームを外された元卓球エリートという設定の人物です。彼にとって日本でプレイすることは屈辱的なことです。その現状に、半ば自暴自棄になっています。それでもなお卓球から離れることができず、自分には大きな才能がないことを悟りながらも、中国に復帰するために大会に臨みます。
 ですが、その卓球後進国である日本でも、ドラゴン(風間、以下ドラゴン)に敗北することになってしまいます。「子宮から顔を出した時以来の衝撃」を受ける彼ですが、彼のコーチに「お前の人生は今始まったばかりだよ」という言葉に救われます(非常にいいシーン)。飛べないことに絶望する必要はないし、苦しみながら無理に飛ぼうとしなくてもいい。他にも飛べる場所はあるというメッセージと僕は捕えました。
 結局、チャイナは卓球に必死に打ち込むことをやめますが、日本で指導者をしながら卓球を続けることを選びます。勝利への執着の苦しさに対する一つの方向性ではないでしょうか。


 アクマは不器用な代わりに努力を人一倍する人物です。ペコやドラゴンに憧れ、自分も高く飛びたいと努力します。実際、2巻の大会ではベスト4入りを果たすのですが、その後、以前は勝ち越していたスマイルに惨敗し卓球部をやめることになります。
 その後も卓球のスタイルを変えるなど試行錯誤を続けますが、最終的には自分の才能の限界を悟ります。チャイナとは対照的に、アクマは卓球をやめることを選択します。一度対象から離れることも、重要な選択肢の一つでしょう。
 この時、スマイルは負ければ退部という状況のアクマに対し、以前のような手加減は無しに容赦なく打ち負かします。スマイルが甘えを捨て、勝利への執着を抱いている象徴的なシーンです。ただ、彼は全く楽しそうではありません。ペコが現実から逃げていて、かつてのようなヒーローではなくなっているからです。スマイルはペコに自分の殻を破ってもらいたい、完全無敵のヒーローとして自分を救いに来てほしいと切望しています。ペコにはヒーローでいてもらわなくては困るわけです。

 話がいろんな方向に飛散しましたが、中盤では勝利への執着の苦しさ(楽しくなさ)が中心に描かれていると考えています。

※もっと飛散すると、2巻での大会後の小泉とオババの会話シーン、「必勝のハチマキ頭に、それこそ死にもの狂いで戦ったよ」「勝つことが全ての時代さね、負けた選手は人格まで否定されちまう」「勝てば官軍、負ければ賊軍、、、」「そういう精神が生み出した挫折をずいぶん見てきた」
 このシーンも勝利のみに執着することへの疑問を投げかける印象的なシーンです。文化系トークラジオにもあった、かつての「悲壮感漂う日本のスポーツ精神」という内容を連想します。オババは「勝てば官軍〜」の精神に複雑な感情を持っているからこそ、ペコの楽しむことが前提にあるプレイスタイルに入れ込むのでしょう。





ヒーロー復活
 後半の内容はペコのヒーローへの回帰と、ドラゴンの執拗なまでの勝利への執着・苦悩です。
 ペコは小学生時代はまさに卓球少年であり、向かうところ敵なし、感情表現も自分の思ったとおりにできる、ヒーローそのものでした。それがいつの頃からか、スマイルからの期待に応え続けることができるか不安に思うようになります。真剣に取り組んでスマイルの期待に応えられなかったら、、、。そこから逃げるために卓球に真剣に向き合わなくなっていきます。それを見かねたスマイルは、ヒーローを待ちきれず、発破をかけるために頭角を現す決意をします。一巻の最後での「僕、先に行くよ、ペコ」とはまさにその決意の言葉です。
 しかし、そんなペコも卓球から足を洗ったアクマの叱咤激励によってスマイルの期待に応える決意をします。(「血反吐吐くまで走りこめ、血便出すまで素振りしろ」は名言)
 オババの厳しい指導のもと、大会に向かったペコ。この37話のタイトルはヒーロー見参です。




カザマノココロ
 後半は、楽しさ見出すことができるペコと、それとは対照的に勝利のためにひたすら苦しみ抜くドラゴンの対決がメインテーマになります。
 47話「カザマノココロ」はドラゴンの苦悩を描く象徴的なシーンです。海王の顧問のセリフ「自分の勝利は宿命だと、風間(ドラゴン)は信じている」「それが必然でなければならないと」「たぶん奴にとって、卓球は苦痛なだけなのだろう。そういう強さもある」は彼のスタンスをそのままものがたります。
 ドラゴンがひたすらに勝利のみに執着するシーンは随所に見られます。
 一巻での「卓球とは反射時間に反応時間可能な限り近づけることによりその極地に至ることができる」というセリフ。
 沈丁花や金木犀の香りを気にするのはインターハイへのカウントダウン。
 3巻中盤で勝利よりもチームプレイの大切さを説く顧問に対し苛立ちながらため息を吐くシーン。
 そして47話カザマノココロの最後のコマでの血の付いたドラゴンのラケットの描写。
 試合前に便所に篭るのも人知れず強すぎる勝利へのプレッシャーと戦うため。
 アクマが便所で「カザマ(ドラゴン)さんは誰のために卓球やってます?」と質問するのに対し、「無論、自分のため」と答えるのが彼の本音です。自分の勝利のために卓球をするのです。(ここではアクマは「チームのため」と応えてほしかったのではないか。チームのために努力して強くあり続けるドラゴンに憧れ、スマイルと決闘試合まで行ったのだから。実際、この後現チームメイトである真田には、本音を隠して「チームのために卓球をする」と答える。またアクマが去り際に「同情してますよ」と答えるのは苦しい卓球しかできない、試合前に便所に篭らければならないほど苦しい卓球しかできないドラゴンに対する同情だと思われる。)
 



楽しさか苦しさか
 ペコとドラゴンの対決は「楽しさ」と「苦しさ」の対決です。そしてピンポンの結論は楽しさの勝利なのです。試合当初はドラゴンの苦しい卓球に引き込まれるペコですが、スマイルの心の声「ペコなら楽しめるさ」の一言によって自分のプレイスタイルを取り戻します。そこからはペコの怒涛の追い上げです。そしてそれに対しドラゴンが悲観するかというと、そうではありません。
「奴は当然のように急速な成長をとげる。」「徐々において行かれる感覚」「優劣は明確、しかし、焦りはない」「おびえる必要などない」
 便所の隅で勝利の宿命に怯える必要がないほどに、ペコと試合するドラゴンは純粋に卓球に身を投じることができるのです。純粋に卓球のみに集中するなかで、背景は真っ白になっていきます。
 そして、ミスショットでボールを打ち上げた瞬間上を見上げると、そこに一羽の鳥が横切ります。その瞬間、ペコは既に自分よりも高いところ飛んでる=自分よりも実力が上回っていることを悟ります。そして「私はここまでだ、ヒーロー、、、」と笑顔で言うのです。純粋にプレイすることは楽しい、敗北に怯える必要はない、「此処はいい」。あの勝利に執着していたドラゴンが負けてなお笑うのです。
 
 勝利の執着による苦しさから、精一杯努力したら最後は楽しもうというテーマを、ピンポンは1997年に既に取り上げていました。
 

ヒーロー=希望
 スマイルとの決勝戦。
 膝の痛みを押して決勝戦に向かうペコに対し、スマイルは「遅いよ、ペコ」と一言。これは当然、この試合に遅れたことではなく、ヒーローとして帰ってきたことに対する「遅いよ」です。ペコ「これでもすっ飛ばしてきたんよ」とはアクマに叱咤激励された日からすっ飛ばしてきたという意味です。

 試合が始まると、セリフはなくひたすら打ち合うシーン。全力でプレイする2人。ペコが球を打ち抜きポイントを取った時、スマイルは笑います。手加減などする必要がない。あの頃の、無敵のヒーローが帰ってきた。自分を救いに来てくれたと。
 純粋にプレイをする二人はいつしか子供の姿で描かれます。これは子供の頃のようにペコがヒーローとして帰ってきたこと、現在のように複雑な人間関係に悩むことなく子供の頃のように無心で純粋に、シンプルに卓球ができているという意味だと思われます。そのためスマイルは劣勢な試合展開にもかかわらず涙を流して喜ぶのです。

 スマイルにとって、ペコとは希望の存在であったのだと思われます。
 卓球に限らず、人生はつらく苦しいことばかりです。人とかかわれば、衝突し傷つくこともあります。現にスマイルはいじめられていた過去もあります。ですが、ペコだけは一点の曇りもなく人生を謳歌していました。卓球のヒーローとして。人生を謳歌している成功例がある。これがスマイルの希望になったのではないでしょうか。スマイルが一度だけ笑ったという少年卓球大会の写真。あれはスマイルが希望を感じた瞬間だったのだと思われます。
 そのペコが途中から成功例足りえなくなってしまったために、スマイルは社会と向き合うことをやめてしまったのではないでしょうか。「卓球なんて死ぬまでの暇つぶしだよ」と言っていたシーンはその象徴的なシーンです。しかし、高校総体の決勝戦でペコがヒーローとして、希望として帰ってきたことで、スマイルは社会と向き合う方向へと向かいます。それが最終話の、人と関わることを煩わしく思っていたスマイルが学校の先生になるというシーンです。それがヒーローが助けに来てくれる、救われた、という意味なのではないでしょうか。





文化系トークラジオLifeの感想
 ラジオの結論でもあった、結局は楽しむしかない、楽しむことをさぼらないように、という話。僕も確かにそれはとても重要だと思います。
 ですが、無理やり楽しくやろうとしても個人的には気持ち悪くなるだけだと思ってしまいます。
 ペコは何故ヒーローだったのか、彼は真剣に取り組んでなお楽しめるからヒーローだったのではないでしょうか。それほどに楽しむということは難しいことなのではないでしょうか。

 僕は楽しむということよりも、自分と折り合いをつけるということの方が重要ではないかと思っています。多くの人間はアクマやチャイナやドラゴンです。ペコのような人間はマイケルジョーダンレベルの人です。

 ピンポンは2つのロールモデルを示しました。
       ペコ=まずは真剣に取り組む → 勝利への苦しさ → なお楽しむ
 スマイル、アクマ=まずは真剣に取り組む → 勝利への苦しさ → 自分と折り合いをつける

 ピンポンのラスト。あれはそれぞれに折り合いをつけた結果だったのではないでしょうか。アクマは結婚し、スマイルは先生になり、みなそれぞれの方向へ進んでいます。
 
 自分に折り合いをつけることができれば、他人の評価はそれほど重要ではなくなるはずです。
 そうすれば、ラジオ外伝でもあった「ウソッ、私の年収低すぎ」に右往左往することもなくなります。
 再終話、ドラゴンが代表選手から外れたことに対して、「いいじゃないですか、凡庸な選手、僕好きですよ。」と明るく言えるスマイルは、自分と折り合いをつけれているからではないでしょうか。(「バカいうな、嫌だよ。」というドラゴンは対照的に折り合いをつけれていない感じがする)
 逆に楽しまないと圧力の方が僕には不幸に思えます。楽しまないと圧力は結局「ウソッ、私楽しんでなさすぎ」を誘発するだけで、誰も幸せにはならないと思います。
 
 現状を楽しむことができる能力を持った人、環境を持った人は、無意識にそれを周りにも強要することが多々あります。結局は自分次第なんだから楽しもうよ、と。
 しかし、現状を楽しめていない人だって何も能力がないからではないはずです。能力があっても、その時のタイミングや環境等、ちょっとしたことで上手くいかなくなる、楽しめなくなることは多々あります。たまたま、楽しめる現状を手に入れた人が、「楽しめないのはお前たちの努力不足である」というのはあまりにも傲慢です。
 楽しむ努力はしつつも、楽しめない自分・現状と折り合いをつける。楽しめない人間を責めない。これが僕の結論です。




あとがき
 なんだかとってもダラダラした長ったらしい文章になってしまいました。考察なんて言いながら、既にわかりきったようなことをまとめただけになっています。あと僕の思い込みや勘違いも多々あると思います。生ぬるい目で見逃してください。
 さらに、文化系トークラジオのテーマとうまくリンクできていません。自覚はあります。
 文章を書くのはむずかしいですね、ほんと。

文化系トークラジオLifeとは編集