悩める僕らは素晴らしい

音楽、サブカル、ラジオ等について、経営的・定量的な視点から書いていきます。

ガッチャマンクラウズ 考察 タコツボ化するネット時代への解答

今期のアニメは正直、あまり見るものがないなーと思っていた矢先、
ふとみたアニメ、それがガッチャマンクラウズでした。
最初はなんとなく絵が嫌いじゃないなーと思って見始めただけ。

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ガッチャマンクラウズとは編集

・作品のテーマ 
 でも2話まで見ている中で、これはネット上でのタコツボ化問題や一億総ツッコミ時代に対する一つの解を描こうとしているのかもしれないと思い、
俄然興味がわきました。
気になって公式HPに行ってみると、監督のメッセージがあり、
やはり描こうとしているテーマはネットを通じたコミュニケーションの問題なのだとわかりました。

以下、公式HP監督メッセージ抜粋

世界は今、2つの新たな局面に差し掛かっています。
1つ目は、有史以来初めて、僕らの心がネットにより可視化された事。
可視化された心が起こす様々な問題や騒動をどう捉えていいか解らず、
個人も社会もただただ戸惑っています。
2つ目は、拡大した僕らの世界はあらゆる分野が細かく専門化され、
1人の人間ではその全容を理解する事が不可能になっている事。
それでも僕らは、1人の優秀なリーダーが全てを抱えてくれると盲信しています。
この2つの事象は偶然なのでしょうか?
可視化された僕らの心は、何か良い事にも使えるのではないでしょうか?
その事を考え、『GATCHAMAN CROWDS』という作品を描きたいと思います。

 以上のテーマを踏まえた上で、アニメを見ながら気づいたことをメモ的に書いていくことにします。

・主人公の価値観の広さ、寛容さ
1話から一貫して、主人公の価値観の広さや、視野の広さ、既成の枠にとらわれない性格を強調する内容が続く。

 例えば、

金髪の先輩が作った地味な料理を、主人公は思いつきでミキサーに投入。
見た目は酷い料理になるが、おいしい料理になるというシーン。
自らの主催するオフ会でも、年齢性別立場など様々な人々と気軽に交流しているシーン等々。
 

 また、金髪先輩と一緒に帰宅する際も、先輩が、電車の席で眠りこける若者に「何故高齢者に席を譲らないんだ」
と怒るのに対し、主人公は「みんな様々な事情があるのかもしれない、疲れているのか、病気なのか、仕事が過剰労働で寝不足の人なのかもしれない。
自分の知らない、其々の事情があるのかもしれない」という趣旨のセリフを言う。
  

※金髪先輩のように、他人のことにまで自分の価値観・正義・倫理観を押し付けようとする(席を譲るのが当たり前)というこの描写は、
ネット上でも多くみられる。乙武氏炎上等はそのいい例ではないか。

個人的にはこのシーンはとても好きなシーン。
人には人の事情が、自分の知らない事情がたくさんある。
人の一面を見ただけで、全てを決めつけて断罪するのはおこがましいとだと思う。

 

 他にも、敵としての存在であるMESSを無条件に倒そうとしない。交流を図ろうとする。
 主人公曰く、僕はまだ彼らと「出会っていない」と。

※2話での戦闘シーンで、MESSが主人公の武器であるハサミに姿を変えたのは、コミュニケーションが図れたという意味なのか。
「出会う」とは交流可能な対象となるという意味なのか。

 また、公式HPストーリー解説にもあるように、主人公は勤めて感情的にならないように意識している。
(これもネット上での交流を円滑に進めるコツではないか)

・手帳について
主人公は大の手帳好き、いくつもの場面や用途・コミュニティに応じた手帳を持っている。
また、ガッチャマンになるためのキーアイテムも手帳。
この作品での手帳とは自分とそれぞれのコミュニティをつなぐ物なのか。
コミュニティでの自らのアイデンティティということか。
それをたくさん持つ主人公は、視野が広いという意味なのか。
僕には手帳である必然性はあまり理解できなかった。

・精神の崖
J・J(白髪のジーさん)とガッチャマンを隔てる物。
金髪先輩は、この精神の崖を超えることはできないと言う。
 しかし2話で主人公はあっさりとこの崖を超える。
これはまさに、主人公には精神の崖がない、タコツボの中で精神の崖をつくって他者と対立しないという意味なのか。
だから、金髪先輩のように視野の狭い(精神の崖が深い)人には越えられないのか。
このシーンは主人公のような性格・立ち振る舞いが、ネット上でのコミュニケーションの問題に対する解決策になる可能性を示唆しているのだろうか。

 

ガッチャマンの先輩方
金髪先輩、リーダーのパンダ等、深く考えずに任務をこなしているよう。
既成概念、自分の閉じた価値観に忠実に行動する人が多い。
ここまでの文章で度々登場している金髪先輩(橘)という登場人物は、
よけいなことは考えずに正しいとされる倫理観を思考停止の基に遂行する、そんなキャラである。
ガッチャマンになった際の武器が刀ということもあり、主人公に、まっすぐで融通がきかない性格を表していると断言されてしまう。
主人公のことを名前ではなく、終始「新人」と呼ぶところも他者を積極的に理解しようとしない姿勢の表れかもしれない。
(主人公は新人と呼ばれる度に「はじめっス!」と、名前で呼ぶように発言している)

リーダーのパンダも同様で、評議会やJ・Jに従って任務を忠実に遂行していればいいと考えている。

監督の言葉にある、「1人の優秀なリーダーが全てを抱えてくれると盲信しています。」
という事に繋がるのかもしれない。

・異星人犯罪者MESS
これはネットの炎上をあおる人々。ネット上の炎上そのものではないか。

MESSとは
[mess] 混乱,めちゃくちゃ; ちらかっていること

人々が其々にタコツボ化した社会の中では、タコツボの外の世界の人間は異星人にも等しいということなのか。

ちなみに、タイトル「ガッチャマンクラウズ」のcrowdは
[集合的に] (秩序のない雑然とした)群衆,大勢; 人込み
という意味。やはりネットにより近年盛り上がりをみせる、ネットをキッカケにしたデモの活発化等をテーマにしていることが窺える。
(3.11と明言はしないが、震災に関しても触れるシーンがある)

・2話最後に登場する紫色の長髪のキャラクター(ベルク・カッツェ)
突然現れて、街行く人々を挑発・煽り、衝突が起きるのを楽しんでいる。
通行人を挑発する際に発したセリフ「燃料投下しちゃいますか」
とは、まさに「ネット上に炎上のネタを投下する」ことを連想させるものだった。
ネット炎上が燃え上がる様を面白がるタイプの人間を表している。

あとは思いついたままにダラダラとメモ

・世界をアップデートする
この言葉を聞いて連想したのは評論家宇野常寛氏の「古くなった社会のOSをアップデートするべき」だった。
そしてアップデートするのは一人のリーダーではなく、一人ひとりだと。
このアップデートというキーワードや、GALAXというSNSは、監督が描こうとする
「可視化された僕らの心は、何か良い事にも使えるのではないでしょうか?」
という、「可視化された僕らの心」を良いことに使うためのアーキテクチャとして示唆しようとしているのだろうか。

 

・主人公の武器がはさみというのはどういった意味なのか。
J・Jもはさみを使っているが、、、

・なんで立川なのか。
立地的には、最近再開発が進んだ地域という事で、なにかとまだ落ち着きのない場所ではあるかもしれない。

等々、いろいろメモ的に書き連ねてしまいましたが、
このアニメでテーマにされていることというのは、
ツイッター等を使っていると、日々感じることが非常に多いものです。
このアニメが示そうとしているものがどういったものなのか、非常に楽しみです。
個人的には、今期一番楽しみなアニメになりました。

また、僕は大元である「科学忍者隊ガッチャマン」は全く見たことがありません。
なので、検討違いな解釈も多いかもしれません。
申し訳ないですが、そこはご容赦いただきたく

※橘 清音(金髪先輩)君のことを、結構ひどく扱った文章になってしまいましたが、
個人的には、ああゆう糞真面目キャラは好きです。真面目で責任感の強い、いいキャラですね。
でも、作中では何かと主人公と対比して描かれてしまうので、どうしても扱いがひどくなってしまいました。



http://d.hatena.ne.jp/loki16185/20130929:ガッチャマンクラウズ最終回 GALAXに倫理観はいらない
※追記↑最終回12話の考察を書きました。