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No Longer Human

音楽、サブカル、ラジオ等について、経営的・定量的な視点から書いていきます。

ニコニコ超会議 超歌舞伎を見て思うこと

 

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 本日、知人と共にニコニコ超会議に出かけた。色々思うとこは多かったイベントだったが、その中で観た超歌舞伎というコンテンツに関して今回は触れたい。

 

 

※超歌舞伎の概要に関しては下記のリンクを参照していただきたく

www.chokaigi.jp

 

演目のテーマ

 題目は花街詞合鏡とされており、これが古典なのか、このために新しく作られたものなのか正直歌舞伎に明るくないのでわからないが、ストーリーとして伝えたいことは非常にシンプルである。

 物語終盤、敵方である青竜により廓を炎で焼かれるシーン、初音ミクのセリフの中で、この炎は廓の裏の顔としてあるあるしがらみや負の感情の表れであるとするところがある。それを打ち破ることでこの物語は完結するわけだが、これは今回の超歌舞伎を作った中村獅童ら自身の歌舞伎を世に送り出すうえでのメッセージである。

 実際舞台は初音ミクをただ使うだけではなく、NTTの技術を使った斬新なものではあった。既に歌舞伎界の中では一定のポジションを築いている彼らが、業界の保守派から後ろ指をさされることを承知で、こうした新しい取り組みを積極的に行い、歌舞伎の裾のを広げようと奮闘するところはぐっとくるものだった。

 短期的に考えれば、このようなチャレンジは業界で一定の地位がある人間ほどリスクや失うものが大きい。

 実際、超歌舞伎の序盤の口上では、中村氏は少し緊張した話しぶりにも思えた。これは取り合えずオタクにウケれば人を動員できるというオタクをした見た姿勢ではなく、今回の超歌舞伎をそれだけ重要な場ととらえていたためではないかと感じた。業界内で一定の地位にある人間が、ここまで本腰を入れて文化のすそ野を広げようとする姿には感じ入るものがある。

 

 また、ストーリーの比喩としても、気になることはいくつかあったが、あまり集中してみていなかったので、そこまで理解はできなかった。ただ、下記のようなことは気になった。

  • 廓詞とはそれぞれの出自を隠すための言葉であり、そのこととネット上の匿名性を合わせているのか
  • 合鏡とは初音ミクと歌舞伎を重ねているのか、それともネットと歌舞伎を重ねているのか

オタクと歌舞伎の相性

サイリウムと屋号

 会場ではサイリウムで一体感を出すことが推奨されていた。普段の歌舞伎では当然ないことだと思う。ただ、歌舞伎には観客が屋号を叫ぶという文化があるらしい。この屋号を叫ぶのは、要はパフォーマンスに同意しているということを示すものであり、それはサイリウムをふるということと本質的には同じなのかもしれないと感じた。そうした点で、意外とオタク的な盛り上がりと案外相性はいいのかもしれない。

中二病のデフォルメ

 日本の文化とは、絵画を見るとよくわかるが、写実的よりもデフォルメしたものを好むものである。歌舞伎の仕草とは、かっこがよく見える動作やしゃべりをデフォルメしたものといえるかもしれない。中二病患者の仕草というのも、本人はかっこがいいと感じて中途半端に歌舞いている様ともいえるのかなーと感じた。それを芸のレベルまで高めると歌舞伎になるのかなと。

※かなり雑に思ったことを書いているので怒られるかもしれませんね

V系と歌舞伎

 話は飛んでしまうが、V系という音楽ジャンルは日本独自のものである。海外のファンが、日本のV系というのはその本流に歌舞伎の文化があるとする意見を過去に見たことがある。強引だがV系文化は割とオタクとは相性の良いものであり、そうした点も、この案外歌舞伎とオタクは相性がいいのかもしれないと感じる点であった。

最後に

 ダラダラと書いてきたが、全く歌舞伎に興味のない自分が、超歌舞伎を見たその日にこれだけ色々と調べ、文字量をかけたという点で、非常に歌舞伎に興味は惹かれた。そうした点でこの超歌舞伎の思惑は十分成功しているのではないかと思う。