悩める僕らは素晴らしい

音楽、サブカル、ラジオ等について、経営的・定量的な視点から書いていきます。

東京ポッド許可局 なぜ応援するか論 スポーツ観戦は健全なイデオロギーの発露

 

 

「笑顔で僕を励ましてくれる女子マネージャー笑顔で僕を励ましてくれる女子マネージャー」[モデル:河村友歌]のフリー写真素材を拡大

 

 

 

最初に

 昨日、東京ポッド許可局 なぜ応援するか論を聴きました。今回は経営に絡めた話は何もしませんが、単純に面白かったので感想をアップします。

 論の中では、主にスポーツの応援に関して、御三方の三者三様の意見が飛び交ってしましたが、その中でも、マキタ局員・鹿島局員がいっていた「何でだよって言える空間が良い」という内容がとても響きました。

 

東京ポッド許可局 | TBSラジオ | 2017/06/26/月  24:00-25:00 http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20170627000000

 

 

10数年ぶりの野球観戦でのこと

 非常に個人的ですが、この四月以降、新しい職場に野球好きの同僚がいたことから、僕も野球観戦を2度ほどしました。子供の頃こそ熱心な西武ファンでしたが、今では特に特定の球団に思い入れはありません。正直野球観戦は小学生の時以来、10数年ぶりでしたが、当時には感じることのできなかった楽しさがありました。それはやはり、論の中にあった「何でだよって言える空間が良い」という観点です。

 野球観戦の際、僕はどちらの球団のファンでもありませんから、どちらの得点・エラーで盛り上がることができ、またお酒を飲んでいる影響もあり、同僚と共に雑な論評も展開していました。僕はこのふわふわとした空間で、いつになくリラックスしている自分に気づきました。

 論のタイトルにもある通り、応援するという行為は、どちらかのチームに肩入れするということであり、ある種のイデオロギーや政治性のある行為です。普段自分がそうした事を実感するのは、会社や家族・選挙の時などです。これらの場面で、安易な意見はできません。特に仕事では、常に相手の心を探り、時には自分の意見を抑えます。雑なヤジや論評などもってのほか(それらの場で雑の論評する人も多くいますが。twitterで意見してしまうのも同じことでしょう)。つまり、自分が強い利害関係が生じる場所では、「安易な応援」はできないのです。しかし野球場ではどうでしょう。こんなにも気兼ねなく迂闊になることができる。

 

迂闊エンターテイメント

 過去の回で、初期のWBCはルール上の完成度が低く、その迂闊さが逆にダイナミズムを生んでいるという話がありました。まさにそれを実感した思いです。

 久しぶりに球場に行き、一番インパクトがあったのはビアガールです。ビールの売り子はなぜ女の子だけなのか、そしてルックスのいい子ばかりなのか。子供の頃はあまり気になっていませんでしたが、今見るとフェミニズム的に非常に迂闊なシステムとも言えます。

 また、あんなにお酒を飲むことが前提なスポーツ観戦も他にないようにも思います。

 中畑野球はお酒が上手いという発言も過去回にはありましたが、これも迂闊エンターテイメントでしょう。迂闊な空間は、イデオロギーの発露を助けてくれるものであり、普段イデオロギーを抑えている社会人にとって迂闊エンターテイメントは最高の娯楽なのです。

 だからこそ、階層がはっきり分かれるイギリスではサッカー観戦が盛り上がるのではとも思いました。

 ※タツオ先生は頑なに一人で観戦するという姿勢から、あまり迂闊エンターテイメントを良しとはしていないのかなーと思いましたw

 

最後に

 自分が子供だった頃、スポーツ観戦は純粋な勝ち負けの祭典であり、アスリートを見る気持ちでいました。しかし、大人になった今、鹿島さんが良く言っていた、野球選手はアスリートではなく「野球選手」なんだという意味が良くわかります。

 様々な立場を演じ分け、それに翻弄される大人たちにとって、スポーツ観戦はその立場から一瞬解放してくれるワイルドカードなのではないでしょうか。