悩める僕らは素晴らしい

音楽、サブカル、ラジオ等について、経営的・定量的な視点から書いていきます。

スペースダンディ10話  感想 地方都市の終わりなき日常

題材があまりに地方都市を感じさせるものだったので、思わず感想をブログに書くことに。


スペース☆ダンディ 10 [Blu-ray]
バンダイビジュアル (2015-01-28)
売り上げランキング: 1,056


終わりなき日常=無限ループ
話はミャウの故郷に行くところから始まる。
そこは完全に日本の地方都市そのもの。
親父の仕事は、工場の旋盤工。(最終製品がわからない=夢のない仕事)
その親父の楽しみは仕事終わりに場末のスナックに行くこと。
その場末のスナックで働く高校時代の同級生。
ヤンキー的ミャウの地元の友人(何故かラップを謳う、サウダーヂを連想せざるを得ないw)
少しずつ退廃的に時間を重ねているように見える昔の知人たち。

そんなミャウの地元で故障した飛行船の修理を待つなか、ダンディ達は日常の無限ループに陥っていることに気付く。
これは恐らく、ミャウの中で自分の地元を受け入れることができず、ミャウの中で地元の時間が止まってしまっていることが原因だと思う。



地方の野暮ったさ良い悪いではなく、受け入れられるか否か
その後、無限ループを打破する方法を探すなかで、ミャウ家のカレンダーがめくれないことが無限ループの原因と発覚する。
そのカレンダーはとても固く、どんなに力を入れてもめくれない。
そこでミャウの親父の旋盤工技術の出番。
何の魅力もないと思っていた旋盤技術が、
ミャウにとって忌まわしい地方の記憶の象徴である親父の旋盤工技術が、無限ループを打破する。
これにより、ミャウの中でも止まっていた地元の時間が動き出す。
意味のないと思っていた旋盤技術にも意味があった。
これで忌まわしい地元の記憶を受け入れることができる、と。

また宇宙船へと戻る際、ミャウは父親に工場での最終製品は何かと聞くが、
返ってきたのは「家電製品の何か」という非常に曖昧な答え。
父親は別に特別な誇りを持って働いているわけではない。
ただ地方の日常に折り合いをつけて受け入れているだけ。


地方には大層な物語があると無理やり持ち上げるのではなく、
そこにある日常を受け入れられるかどうかの問題ということを言いたい話だったのだろうか。


雑感

とてもリアルな地方都市描写だった。
まあ、地方都市を取り扱った作品はもはや珍しくはないので、既視感もあるが、
あるある感はかなり高かった。

また、てっきり今回の脚本は佐藤大さんかと思ったけど、違う人だった。
地方ネタは団地団でもたびたび扱ってきたテーマなのでてっきりと思ったけど。


そもそもスペースダンディって実はヤンキー論の話なのかもしれない。
ダンディの風貌はヤンキー的ともいえる。
ヤンキーの精神がそれぞれの話を解決するということなのか。


スペースダンディ、2期もあるといいなと思う反面、
これは2期やるアニメではないよなとも思った。

スペース☆ダンディとは編集

佐藤大とは編集