相対性理論「たまたまニュータウン」の歌詞は社会学的
もう4年も前のアルバム、相対性理論の「TOWNAGE」というアルバムに入っている一曲、それがたまたまニュウータウンである。今回はこの歌詞の内容について掘り下げたい。
最初に
最初に控えめに自分語りをさせてもらうと、僕は相対性理論を聞くようになったのは割と最近の事であり、昔からのヘビーリスナーではない。相対性理論結成時の2006年当時、僕は中二病をこじらせた洋楽野郎であり、邦楽バンドはほとんど聞いていなかった。そのため、相対性理論のこれまでの作品の変遷などにはあまり知識がない。このバンドをしっかりと聴いたのは近年アップルミュージックに登録し、邦楽まで幅広く聴くようになってからのこと。そのときに歌詞の面白さに衝撃を受けたのが、たまたまニュウータウンである。
歌詞の題材:多摩ニュータウンとは?
この歌詞の内容を考えるには、そもそも元ネタになっている多摩ニュータウンとはどんな場所かを考える必要がある。
多摩ニュータウンとは
多摩ニュータウン(たまニュータウン)は東京都稲城市・多摩市・八王子市・町田市にまたがる多摩丘陵に計画・開発された日本最大規模のニュータウンである
戦後の高度経済成長期、東京区部での深刻な住宅難にともなって地価は著しく上昇し、その結果として地価の安かった市部が急速に宅地造成されていったが、民間の無計画な開発はスプロール化をもたらした[2]。また、当時は違法な宅地造成が56%を占める状況であった[5]。そのなかで、このような乱開発を防止するとともに、居住環境の良好な宅地を大量に供給することを目的として、多摩ニュータウンが計画された
多摩ニュータウンの現在
2010年(平成22年)現在、多摩ニュータウンの人口は21万人に達したが、全人口の16%を高齢者が占めるという状況で、高齢化が進んでいる[30]。特に住宅難の解消を目的としてオイルショック以前に建設された団地では、画一的で住戸面積が狭いため多様な世帯を受け入れることができず、家賃も安いことから必然的に高齢者が集中し高齢化の温床になっている
2017/6現在のwikiより部分的に引用したが、乱暴に要点をまとめると下記のような場所といえる。
- 元々歴史的に強い文化的特徴があるわけではない農家集落エリア
- ここに住む多くの人は代々住んでいる人々ではなく、近年移り住んだ人が中心
- 戦後高度成長期には先進的な都市だったが、現在では高齢化が急速に進む「物語の見出せない郊外都市」になってしまっている。
評論家の宇野常寛氏は郊外をゼロ年代における「物語の無い場所」とかいていたが、まさに多摩ニュータウンは現代では物語の無い郊外都市のひとつといえる。
ここでたまたまニュータウンの歌詞を考えるとどうだろうか。
たまたまわたしがそこにいただけ それだけ
たまたまあの日に目があっただけ それだけだったんだ
たまたまニュータウン
曲名にもなっている通り、歌詞の中では「たまたま」という言葉繰り返し使われる。これは多摩ニュータウンが「物語の無い場所」、皆偶然たまたまこの地に移り住んだだけだという内容と掛け合わせた言葉遊びである。
その他個別の歌詞のフレーズについて
ニュータイプ・噂の真相
そのほかにも、この曲の歌詞の中には多摩ニュータウンの「物語の無い場所」郊外性を表す言葉が多く出てくる。
ニュータウンで暮らす二人の生活に
開発が進む当時、他の地域からの移住者の核家族ばかりが暮らすニュータウンでは、これまでにはなかったタイプ(ニュータイプ・ミュータント)の閉鎖的な近隣トラブルが起きるようになったといわれている。
また、噂の真相とは80年代に発行されていたスキャンダル雑誌であり、そうしたニュータイプ的トラブルはお断りという意味だと思われる。
※カネコアツシの漫画、SOILではそうした内容を非常にリアルに描いている。
前途多難なふりした偽りのヒロイン
デッドラインが横たわる交差点で
前途多難なふりした偽りのヒロイン
ジェットコースター怖がる 君がそんなまさかね
めんどくさいこと リボンかけてプレゼント
物語の無い郊外では、「前途多難なふりした」ニヒリズム的なふるまいをする人が増える傾向にある。そうしたメンタリティーを示していたのは、岡崎京子のリバーズエッジや涼宮ハルヒといった作品である。この歌詞も、そうした内容を表す内容と考えると、非常に一貫したテーマ性のある歌詞に感じてくる。
涼宮ハルヒとは、まさに「めんどくさいこと リボンかけてプレゼント」そのもののヒロインといえるのでは。
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終わりに
こうしてみると、やくしまるえつこの歌詞は、様々な引き出しから引用された高度な言葉遊びであり、その内容は無意味な韻を踏む言葉の羅列ではないことがわかる。
こうした歌詞の仕掛けも、サブカルおっさんミドルに刺さる大きな要因ではないかと思う。