ジョジョ第四部に見る90年代の社会背景
最近、ジョジョの奇妙な冒険第四部・ダイヤモンドは砕けないのアニメ版がラストを迎えました。久しぶりに第四部を見て改めて感じたことは、やはりジョジョはその部数・パート数によって時代背景を反映した作品になっているということです。特に90年代のカルチャーというのは非常に強い特徴があり、2016年に第四部を改めてみることで、90年代の特殊性という物を再認識させられたような気がしました。今回は第四部の特徴と、当時の時代背景の関連性に関して書いてみます。
第四部の特徴
まずは第四部の特徴を洗い出してみます。
- ジョジョの中で一番日常描写が多い作品。トニオの料理を食べる回や、露伴と仗助が賭け事をするだけ等、戦闘がなく終わる回が多い。
- 音石明打倒後から吉良喜彰が登場するまで、主人公たちには明確な目的・目標は設定されていない。
- 第四部で最大の敵となる吉良は、日常の中に潜む狂気の殺人犯。明確な悪意ではなく、自らの異常な性癖の為に殺人を犯している。
- 舞台となるのは大都市ではなく、地方都市。非日常ではない、日常の舞台。
巨悪であるDIOに立ち向かうという大きなテーマがあった3部までと違い、4部では明確に日常性や牧歌的な内容に寄せられていることがわかります。
当時の時代背景
では、連載当時の時代背景を考えてみます
- 単行本29巻 - 47巻(1992年 - 1995年)に収録
- 95年は地下鉄サリン事件が起きた年。自らの生きる意味を見出すことができない人が多かった中、そうした状況を社会学者の宮台真司は「終わりなき日常を生きろ」と評した。
- 95年は新世紀エヴァンゲリオンが放映された年でもある。この作品は、「社会にあえてコミットしない」という選択肢をテーマにされた作品ともいわれている。
- 93年から97年まではカンフル景気と呼ばれる一応の好景気時代
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バブルがはじけたとはいえ、まだ生活していくということに対して余裕のあった時代とされている。下記、博報堂・生活定点データより筆者作成。
※1992年より、経済的な余裕があるという回答は一貫して減少している。
まとめ
この当時のカルチャーは、「直近の生活に不安はないものの、その日常の中には何か異常なものがある」といった内容の物が多くありました。岡崎京子のリバーズエッジ等はそうした作品の代表例といえると思います。
経済状況としては、バブル崩壊後とはいえ、まだまだ生活には余裕があり、このまま平坦な日常が続いていくのではないかという空気感があったように感じます。そうした余裕があったからこそ、エヴァンゲリオンは「社会にコミットしない」というテーマが設定できたのでしょう。
また、そうした日常の中に潜む異常性として、オウム真理教という存在はありました。ジョジョ第四部の吉良喜彰とは、こうした社会背景を反映した存在だったように、今では思えてなりません。
ジョジョの奇妙な冒険という作品は、非常に長い期間連載しているということと、それぞれの期間ごとに部がわかれ、個別のテーマが設定されている作品だからこそ、こうした時代背景を映しやすい作品といえると思います。