悩める僕らは素晴らしい

音楽、サブカル、ラジオ等について、経営的・定量的な視点から書いていきます。

CDの売れない時代が良い音楽を作る

 新しくはてなダイアリーに移って最初のブログを書こうと思います。

 題名はCDの売れない時代ということで、それに対し僕が思うことをダラダラと書かせてもらいます。
インターネットやyoutubeファイル共有ソフト、娯楽の多様化等により、CDが売れない時代になって随分時間が経ちました。もはやミリオンセラーのCDが生まれないことを誰も驚いたりはしません。そうした状況を嘆く声が多く聞かれます。「音楽家・アーティストが食べていけない」「良いアーティストが育たない」と。
本当にそうでしょうか。結論から言ってしまうと、僕はそんなことはないと思っています。むしろこうした状況は喜ばしいとさえ思っています。

 「良いアーティストが育たない」そもそもCDの売れる時代に台頭した音楽家・アーティストの音楽が本当にいい音楽だったのか、聴いている人達は本当にその音楽を聴きたかったのか。僕は疑問に思っています。ミリオンセラーが頻発した時期に売れていたCD・アーティストがどんなものだったのか、うろ覚えながら考えてみると、その多くはドラマや映画等で使用されたものや、話題先行で売れていたもの、予定調和的に売れていたものだったように思います(例えばエ○ベックス系所属アーティスト等)。つまり、結局は大手レコード会社が気に入った・売り出したいアーティストばかりだったのでないか。大手レコード会社・広告会社が作った物語によって、多くの人が無意識に、消費社会的にCDを買わされていたのではないかということです。
 
 レコード会社等が作り出した物語によって、一部のアーティストは職業として成り立っていたかもしれません。しかしレコード会社の気に入らないようなアーティストにとっては活動を続けることが非常に難しい時代であり、単純な音楽の良し悪しという面において正常な競争環境であったとは言えないのではないでしょうか。批判するわけではないのですが、例えば、B'Zが40何回連続ランキング1位を獲得するといった事例は、まさに予定調和的な売れ方であり、正常な競争環境でないことの表れと言えると思います。そして、当然正常な競争環境のほうが良い音楽が生まれる筈です。
 また、レコード会社と契約を結んでいたアーティストも、そのレコード会社の意向を意識した曲作り・活動を強いられることになり、そのアーティストの持つ本来のポテンシャルを発揮しきれていたのかどうかは疑問が残ります。

 以上のことから僕は、CD売れていた時代は「CDは売れても良い音楽は生まれない時代」だったと考えているわけです。

 次に、なぜCDが売れなくなったのかということについても少し考えてみます。
以前は何故CDが売れていたのか。それは、CDの存在を発信するメディアもそれほど多くなく、消費者側が情報を入手する手段もそれほど多くなかったため、レコード会社・広告会社側が作る物語を浸透させやすく、一つの物語に多くの消費者を巻き込むことが可能だったからではないでしょうか。
 しかしインターネットの登場によりその環境は一変、情報の発信手段も入手手段も以前とは比べ物にならないほど多くなりました。僕自身、以前は音楽雑誌や音楽番組から聞きたいアーティストを探していましたが、今ではyoutubeニコニコ動画myspaceなどを使ってデータベース検索的に自分の聞きたいアーティストを探しています。そうしたデータベース的検索時に(少なくとも僕の中では)「周りの人はどう評価しているか」「有名かどうか」といった評価軸は存在しません。(また知名度、周囲の評価等の影響が減ることは、今より参入障壁の低下、チャンスの平等化に繋がる筈です。)
 こうした状況の変化により「島宇宙化」「タコツボ化」といわれるように、それぞれの音楽の趣味の多様化・ニッチ化が進み、一つのジャンル、一つのアーティストが爆発的に売れる時代が成立しなくなります。

 こうした時代の変化を良いと捉えるか、嘆かわしいと捉えるかは、結局は人それぞれということになるのでしょう。でも、僕はいい変化だと思うわけですね。
 インターネットの出現によって、CDの売り方やプロモーションのしかたは多様化し、早い話が参入障壁を下げる働きをしたのだと思います。それにより、評論家の宇野常寛さんの言うビックブラザーからリトルピープルへの流れが実現したのだと思います。ミリオンセラーが存在しない変わりに、ニッチなジャンルの音楽もなんとかやっていける世界。
 以前は環境や機会に恵まれた一部の人しか音楽で自己実現できなかったのに対して、今では様々な人がインターネットを通して発信することが可能になり、音楽での自己実現が比較的容易になりました。そうした現在の方が正常な競争環境であり、より良い音楽が生まれるのではないでしょうか。
 僕は、マジョリティが幸せな社会より、マイノリティがなんとか認めてもらえる社会の方が良いと思っています。

 ただ、インターネットの出現で問題になっているのがファイル共有ソフトの問題です。ファイル共有ソフトによって間違いなくCDの売り上げは下がった筈です。
これに対しては明確な対処法はまだ確立していないと思いますが、一つの可能性としては 糸井重里さん監修の「グレトフルデッドにマーケティングを学ぶ」という本で書かれているフリーとライブの精神が挙げられるのではないでしょうか。CDが売れないのであれば、最初から無料で公開することで裾野を広げ、徹底してアーティストへのロイヤルティを高めることで、ライブや関連商品によってお金を払ってもらうというモデルです。
 もちろんこの手法を取り入れるのは簡単ではないし、そのまま日本に持ち込んで成立するかも未知数であり、一長一短あるでしょう。ですが、規制を強めて無理やりCDを売ろうとしてもネットではどうしてもイタチゴッコになりがちです。どうせファイル共有ソフトを使われてしまうのなら、最初から音楽をフリーで公開し、その上でマネタイズできる方法を探す方が現実的ではないでしょうか。
 また、何時何処で聴いても同じCDよりも、その時その場所でしか成立しないライブにこそお金を払う時代へと価値観が変化してきていることもそれを後押しする要因となりそうです。(個人的にはここでも宇野さんの言う仮想現実=CDから拡張現実=ライブへの流れを感じます)

 
 こうやって見てくると以前よりも今のほうが正常な競争環境が確立されているように見えますが、いやいやちょっと待てよという声もある筈です。そう、AKB48の存在です。この前の文化系トークラジオlifeでも話題に上がっていたと思いますが、今のCDのランキングは、AKBを含めほぼ全てがアイドルグループで独占されているようです。唯一アイドルグループでないのがエグザイルだったとか。(僕は個人的にはエグザイルもアイドルグループとその性格は同じだと思いますが)
 そんな状況のどこが正常な競争環境なんだという意見は当然あると思います。ですが、lifeでも言っていたように、アイドルグループにとってのCDというのはアイドル活動の中でのコンテンツの一つであり、他のアーティストにとってのCDとは性格が違うのとも言えるのではないでしょうか。極端に言えば、アイドルにとってのCDとは、数あるグッズ・関連商品の一つとも言えるわけです。(別にここでアイドル批判を展開しようとしているわけではありません)
 
 強引かもしれませんが、そのように定義し、CDのランキングからアイドル系を外して考えると、どのジャンルも突出した物はなく、予定調和のない良い競争環境といえるのではないかという結論になるわけです。
 

 つまり、ここまでダラダラ書いて結局なにが言いたかったのかというと、
売れなくなったCDやアーティストって実は薄っぺらいやつが大半なんじゃないのか、
本当に音楽が好きな人々が好むような音楽は、マネタイズの方法がCDからライブ等様々に移り変わっても、残っていくんじゃないか。というか今、現に残ってるんじゃないか。なら全然嘆く必要ないんじゃないの。っていうことです。

 

 この感覚は以前からなんとなく思っていた事なのですが、宇野常寛さんの「ゼロ年代の想像力」や「希望論」、文化系トークラジオlife等を聞いている中で、「なるほどそーいうことか」と思うことが多々あり、自分の中の「なんとなく」が言語化できるようになりました(大分お粗末ですが)。そこでせっかくだからそれをしっかりと文章にしていく練習をしようと思い今回ブログのテーマにしてみたのですが、自分の考えていることをわかりやすく論理的に文章にしていくというのは本当に難しいですね。もっと練習が必要だと改めて感じました。

 次回はもう少しマシになると良いなと思います。

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