ヴィンランド・サガ15巻 感想・考察 鎖と渡り鳥
ヴィンランド・サガ15巻を読みました。
ヴィンランドサガ本来のテーマへと話が大きく動き出した巻といえます。
非常に読み応えのある内容だったので、感想のメモをアップすることにします。
↓ ヴィンサガについて書いた過去ブログ
ヴィンランド・サガ13巻までの内容を整理する(後半) - No Longer Human
この巻のテーマについて
- 序盤のわたり鳥(アジサシ)のシーンでこの巻のテーマを示唆している。
- この巻はアジサシ(グズリーズ)をめぐって、トルフィンとハーフダンの、行き場無い人への対処の違いを描いている。※表紙の挿絵を見ればわかるように、アジサシはグズリーズの比喩である。
- ハーフダンは規制とルールで人を管理する。チェスを行う場面はその象徴。人間はコマでしかない。※しかし、一定の筋を通している点は注目。
- トルフィンは、規制のない自由を求めてヴィンランドへ向かう。この二人はとても対照的である。
ヴィンランドサガでの誇りについて
- ここでも「誇り」は、ヴァイキングやこの時代の考え方として大きなテーマになる
- 誇りを捨てきれないものは、争いから逃げられない。誇りを捨てたものは争いから外れることができる。
- トルフィンはハーフダンの靴をなめることに何の執着もなかった。目的のためには誇り等安いもの。
トルフィンは本当の意味で、本当の戦士、トールズと同様の考え方になっているという場面。 - ハーフダンは人から誇りを奪うことが楽しみだという。結局人間は何かの奴隷であるということを再確認したいからなのか?
ハーフダン自身も何かの奴隷であるという意識があるのでは? - しかしトールズやトルフィンは命以外に何もないとのページがあった。
逆説のようだが、何にも縛られていないからこそ、彼らは奴隷ではない。相手に上下関係を強要しないからこそ、自由でいられる。奴隷にならずにいられる。それがハーフダンには気に入らない。 - この辺の話(人間は何かの奴隷であること)は1巻から示唆のあったテーマ。どうすれば奴隷や身分から解放されるのか。↓過去ブログでも書いた内容。
ヴィンランド・サガ13巻までの内容を整理する(前半) - No Longer Human
- ハーフダンはトルフィンの覚悟を確かめるために、一角獣の角を渡す。この角を資金に代えるほどの苦労をする覚悟あるのかを確かめるという。
- まるでこのシーンは「走れメロス」に出てくる、人間不信の王に似たような話だなと感じた。人間等所詮一皮むけばみな醜いものだと確認せずにはいられない。それを確認することで自分は間違っていないという免罪符がほしい。
渡り鳥は鎖を選ぶか、自由を選ぶか
- トルフィンとハーフダンの交渉のシーンはとても面白い。島を渡れなかった渡り鳥を巡って両者の考え方の違いが浮き彫りになる。
ハーフダンは鎖で管理する、トルフィンは檻を外し選択肢を与える。結果として渡り鳥は檻の中のエサを無視して飛び立っていく。
このシーンは、グズリーズの今後を示唆している。おそらく次の巻でグズリーズは飛び立つ決断をすることになる。トルフィンの与える選択肢によって。
つまりヴィンランドに向かうこの段階で、トルフィンは支配の連鎖から、誰かを解放できるのかをためされることになるわけである。 - グズリーズは鎖を外したいという主張を各所でしている。
女であることの鎖、嫁という立場の鎖。生まれた土地という鎖。それらを解放してくれる、「外部」の象徴「船」に強い執着を見せる。
この巻は、このテーマは、自由を望む人間の鎖を如何にして外すことができるのかという内容といえる。 - ※しかし、誇りを奪い、争いから解放するという点で、必ずしもハーフダンは間違っていない。クヌートと同様、これも一つの可能性と言えるのではないか。
むしろ個人的にはハーフダンの苦悩にこそ共感を覚えるところである。彼の働きも、認められるべきものである。
彼は現代の資本主義社会の考え方に近い。そのあたりも今回のテーマなのかもしれない。
・この巻から初めて女性に焦点が当たったと思う(グズリーズだけでなく)。
今まで、戦闘シーンが多くあった巻と違い、其々立場の違う登場人物たちの心情が丁寧に描かれていてとても面白かった。次巻にも期待したいです。
↓16巻の考察